「感じすぎて疲れる」エンパスが決して忘れてはいけないこと<後編>

こちらの記事は、「感じすぎて疲れる」エンパスが決して忘れてはいけないこと<前編>の続きです。

世界を変える? 自分を変える?

世のため人のため、という言葉が日本にはあります。

美しく立派な精神のようにも見えますが、世の中(または他の人)を良くしようと直接働きかけることは、エンパスにとってリスクのあることかもしれません。

心理学やスピリチュアルなことを学んできた方なら聞いたことがあるかもしれませんが、あなたが本当に変えることができるのは、唯一あなただけ

外に働きかけて誰かや何かを変えようとするより、自分という存在の本質に気づいてそこに近づいていくというのが本来の人生の目的ともいえます。

その旅のプロセスにおいて心の成長変容を遂げることが、周りの人にとっての最大の贈り物であり、波動レベルでは、外側の世界に影響を与えることにもなります。

あなたのあり方が、他の誰かにとっての希望となり得るからです。

あなたが「本来の自分ではないもの」を少しずつ手放して、自分をクリアにしていくことや、能力を磨きながら変容をし続けることができたら、それが周りの人たちを勇気づけたりインスピレーションを与えることになるでしょう。

エンパスが高い感受性を持ってこの世界に来ることを選択した理由は、魂の成長のためにそれをどう使って人生をナビゲートするのかを学ぶためです。

あなたが成長を遂げたとき、その体験は集合意識の領域にアップロードされることになります。

この方法が唯一、あなたが世の中に本当に貢献できる方法です。

もし自分の内側ではなく外だけを見て、世の中を良くしようと人のために駆けずり回るとしたら、そのプロセスで依存関係を作りエネルギーや才能をすり減らしていく一方的な循環となってしまいます。

外に働きかけることで世の中を良くすることはできないことを知っておくのは、エンパスにとって重要です。

あなたの見ている現実は、ありのままを反映した姿だからです。

「ありのまま」とは、あなたが作り出している波動そのものという意味です。つまり目の前の現実は「私たちのあり方」を完全に反映しているからです。

自分を見つめて、本来のクリアな状態へと還っていくことに最大の力を注ぎましょう。

これは人のことは放っておいて自分のことだけやりましょう、という意味ではもちろんありません。

自分も周りの人も信頼して、才能を存分に発揮できる生き方へと向かうために、それぞれが自分に向き合い続けるということです。

忘れてならないのは、利他主義とは依存関係のことではないということです。

人が自分で学ぶためには、自由に道を歩む必要があります。

私たちは本質的には完全に自由な存在として宇宙に許され存在します。一緒に人生を歩む人にも完全な自由を与えることは、同様に大切なことです。

私たちが「誰かのために」何かをするときというのは、そうすることがシンプルに心地よいと感じるからというのが本来で、そこに「自分が必要とされる必要」を求めるとしたら、互いに苦しい関係となってしまいます。

自分の中にあるものを見る恐さ

エンパスに限ったことではありませんが、私たちが生きる本当の目的は、内なる習熟を遂げて魂を進化させていくことです。

エンパスの多くは、あまりにも多くのことを感じすぎるがために、過去のどこかの時点で感じることを閉じることを学びました。

自分が感じていることから意識を逸らすように、外の世界や誰かの感情に意識の焦点を合わせるようになりました。

そうすることで自分を守る必要があったからです。

自分が感じていることに耳を傾けすぎるより、外で起きていることにフォーカスし、それに合わせたり逆にコントロールしようと試みることの方がずっと容易に思えたからです。

自分の本当の感情に向き合うことに比べたら、目の前の人の「問題」を解決することの方が、恐さを感じなくてすむからかもしれません。

現代社会では、感情を感じすぎることは弱いこと、または未熟なことと見なされる傾向があります。

幼い頃から親や先生に「素直なありのままの感情を出して良い」と教えられて来た人はきっとあまりいませんよね。

そういうこともあって、私たちの心の奥深くには、フタをしたまま癒されることのない数え切れないほどの痛みや心の傷がしまいこまれたままになってしまっています。

エンパスの高い感受性は、自分自身をあまりにも「傷つきやすい」と感じさせてしまいます。

だからといって他人に焦点を当てても、本質的には何も解決しません。

心の底にある痛みから一時的には目を逸らすことができるかもしれませんが、痛みを本当に解放するわけではなく、自分にも相手にも力を与えることにはならないのです。

私たちが誰かに必要とされたり愛されていると感じることで、自分に対して「生きることへの承認」を一時的に得ることができるだけでしょう。

「心の奥深くに埋められない虚しさがある」というエンパスは少なくありません。

その空虚感をまともに感じることは耐えがたいほどのものなので、心の深いところにしまい込んでその痛みをないものとして固くフタをしてしまっています。

そして「誰かを支えることができる自分」という自分の生きる意味を証明できそうな場所に居場所を求めてしまうのです。

たとえそれが相手にエネルギーを奪われ続けるような関係であっても、一時的にでも自分の生きる意味や価値を承認できる気がするために、そこに惹かれてしまうのかもしれません。

やめてしまったら、見ないようにしている心の奥の「空虚感」を再び感じることになってしまうためです。

エンパスがたとえたくさんの人に囲まれていても「誰とも繋がっていない」「本当の自分をわかってくれる人はいない」と感じるとしたら、心の深いところに本当の感情とともに本当の自分を「埋葬して」しまっているのかもしれません。

自分の心の傷を見ないままに外側の誰かのために奔走しても結局は誰も幸せにすることはできず、その関係が長続きすることもありません。

エンパスが本来やるべきことは、どんなものなのでしょう?

エンパスの「感じる力」を活かすこと

エンパス能力の本来の使い方はシンプルです。

それは自分の内面をちゃんと感じること、つまりエンパスの持つ’感じる力’を自分の内面に向けることです。

エンパスの「深く感じる能力」を使って、心の深いところにある本当の声(本音)を感じてみましょう。

自分の感情や本音を感じていくと、それがすでに周囲のエネルギーと共鳴していることを感じられるかもしれません。

どんな現実もあなたの本音(潜在意識)が作り出しているということが腑に落ちるかもしれません。

あなたの内面の成長や進化に応じた現実がまさに目の前に現れていることが理解できるでしょう。

あなたの内面が本質的な自己(魂)と一致する方向に調和するとき、外側の世界もそれに呼応するように変わりはじめることもあります。

これがエンパスが世界に調和や癒しをもたらす方法です。

本当のコンパッション(慈悲)は、いつでもエンパスの内側で起こり自然と外に投射されるものです。

振動している宇宙においては、感情は私たちが自由に扱えるバイブレーション(振動)なので、感情と深く繋がる力は、エンパスの最大の強みです。

自分を深く感じましょう。

感情というバイブレーションへの高い感受性は、望むエネルギーのどの領域にも移動することができる能力です。

これは「本能」でも「ロジック」でもなく「波動知性」とも呼べるものかもしれません。

何が心地が良くて何が心地よくないのか、自分の内側を感じてみましょう。そして、最も自分が力を得られると感じる方向に動いてみましょう。

実際に動いてみないことには’それがどんなものなのか’はわからないとしてもです。

まとめ

エンパスにとって大切なことは外の世界や他人の感情を感じることではなく、自分の本音を感じること。

自分の外側をジャッジしたり意味付けすることにエネルギーを使う代わりに、自分の呼吸や感情を感じて自分の中心にとどまるよう意識しましょう。

心の奥深くに存在する空虚感を埋めるために外側に何かを求めるのではなく、その感覚から自由になるために、自分で自分を満たして下さい。

感じすぎることは「弱さ」や「傷つきやすさ」ではありません。

自分を感じることを閉じないでいましょう。

感じることはエンパスであるあなたが持つ、最大のギフトです。

こちらの記事も参考にしてください。

「人の感情がわかりすぎて生きづらい」エンパス体質の根本改善、はじめの一歩は?

 

 

1 COMMENT

Michiko

こんにちは。初めて読ませて頂きました。
私は潜在意識を書き換えるセッションをメインに、スピリチュアルカウンセリングをしています。書かれていることは、とても分かりやすく、そして真髄を捉えているものだと感じて、思わずコメントしたくなりました。いつかお会いしてお話し出来ると良いなと思います!これからも沢山の記事を書いて下さいね。

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