「感じすぎて疲れる」エンパスが決して忘れてはいけないこと<前編>

エンパスとは、人の感情など目に見えないエネルギーを高度に感知する能力を持っている人のことです。

エンパスに似た概念として、心理学の分野ではHSP(Highly Sensitive Person=人一倍敏感な人)と呼ばれるものがあり、両者ともに自分を取り巻く様々な刺激に対して感受性が強く、人の気持ちだけでなく匂いや音、肌触りなどに対しても敏感に感じすぎて疲れやすいという、共通の特徴を持っています。

エンパスもHSPも、外界とのコミュニケーションを「論理的」というよりは「感覚的」に処理する傾向性があり、これをバイブレーショナル(波動的)なコミュニケーションと呼んだりします。

エンパスとHSPは同義語として使われることも多いのですが、HSPの中には「五感で受け取る刺激には敏感だけど、人の感情の影響はさほど受けない」という人もいるようです。

HSPの中でも特に「人の感情に影響されて生きづらさを感じやすい」方を含め、この記事ではエンパスと呼んでいます。

エンパスとHSPの特徴については、こちらの記事も参考にしてください。

「繊細すぎて生きづらい」エンパス(超共感力)とHSP/HSC(ひといちばい敏感な人)の特徴と違い

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人が気にならないような些細な刺激を常にキャッチしているエンパスは、周囲の強すぎる刺激に圧倒されやすく、周囲との調和を重視するあまりに自分が感じていることを無意識に抑圧しがちな傾向が、多くの人に見られます。

自分が感じていることを「隠したり、感じ方を変えようとする」ことで、人間関係や社会生活にうまく自分を適合させようと試みるのです。

また、「他人の痛みを理解して寄り添える」、「他人の気持ちに細かく配慮できる」という性質から、対人関係においては安心を与え頼られる存在となることが多く、カウンセラーやヒーラー、セラピストなど人を癒す職業に向いているとも言われます。

繊細がゆえに生きづらさを感じやすいエンパスにとって、自分の能力を生かせる場ということで、実際そういった職業を志す方も多いのですが、そこにはエンパスが陥りがちな落とし穴も存在します。

この記事では、エンパス特有の「人一倍感じる力」を閉じるのではなく、より発展させながら自分と周囲の人を同時に幸せにできる本質的な方法について、書いています。

エンパスについての一般的なアドバイス

エンパスやHSPについてアドバイスされることとしては、しっかり自分の境界線を保って自分をプロテクトしましょう、というのがもっとも多いでしょう。

また前述したように、その繊細さや人の気持ちがわかる性質から「天性のヒーラーで、カウンセラーなど人の気持ちに寄り添いサポートする職業が向いている」と、エンパスについて書かれたものをよく目にすることがあります。

実はこの両方に、エンパスやHSPが陥りやすい落とし穴が存在しています。

一つ目は「自分は繊細ゆえに傷つけられやすい存在。だから自分をプロテクトして生きなければ」と思い込んでしまうこと、もう一つは逆のベクトルで「自分の能力は特別だから、人を助けたり癒す使命がある」という認識になってしまうことです。

一つ目については、このサイトでも記事に書いているように、確かに自分の境界線を意識することは、エンパスがカラダに直接悪影響を受けやすい人混みなどでの対処法としてはとても有効です。

ただ「感受性が高く、些細な刺激に敏感なこと」「人の感情などのエネルギーに反応してしまうこと」は、決して人より弱くて脆い人、攻撃を受けたり傷つけられやすい存在ということと、イコールではありません。

こういった認識から自分をプロテクトすることに意識が向きすぎると、かえって外のエネルギーに翻弄されてしまうことに繋がっていってしまいます。

エンパスの高い共感能力の由来は、生まれつきのものに加えて、成長過程に自分を守るために(無意識に)より強化されてしまったものも大きいと言われています。

敏感に感じすぎる性質を、まずは単純に個性や多様性の一つと捉えましょう。楽器が得意だったりスポーツが得意というのとなんら変わらないということです。

自分の状態を正しく認識していること、それを個性として自分で受け入れることは大事だけど、良くも悪くも「自分がスペシャルな人間」と思いこむことは、本当の自分からは逆に離れていってしまうことになりかねません。

エンパスの落とし穴

エンパスの心の深いところには、自分はありのままでは価値がないのではという「無価値観」が存在しています。

(もちろんエンパスに限ったことではありませんが、人間関係に翻弄されがちな性質には、多くの場合、根深い無価値観が影響しています)

自分のありのままの価値を感じることができないと、生きる目的がブレやすかったり、生きる意味を見失いがちになり、それゆえ人生において生きづらさを感じるようになっていきます。

そういった意味で、自分が生きている価値を感じることはもちろん大事だけれど、自己価値を感じたいがために「自分を特別な人間」として他者への承認を求める方向に意識が向くと、エゴが肥大しやすくなるだけでなく、心の中の孤独感を結局は深めることにもなってしまいます。

そもそも、エンパスの「共感能力」によって他者を感じられるという性質は、私たちがもっとも深いところで本当は一つに繋がっていることを思い出させてくれるものでもあります。

深い癒しはいつでも、選民意識などから生まれる分離感ではなく、自分と外界とのつながりや調和を感じることから生じるということを、忘れないでいましょう。

また、エンパスが自分を「特別な存在」として「人を癒すこと、助けること、幸せにすること」を自分の使命だと感じてしまうと、より人との境界線が曖昧になりやすく、不健全な共依存の関係を次々と招き、結局はより苦しい方向へと向かってしまいます。

これがエンパスにとってとても重要な、一つ目の落とし穴です。

そしてもう一つは、エンパスとして生きるためには、境界線を作って自分をエネルギー的にシールドすることで繊細すぎる感受性にうまく対処しないと、社会生活や人間関係を維持できないと考えてしまうことです。

これらの問題点は、人を助けようとすることも、エネルギー的に自分をシールドして「人とのつながりや、感じることを閉じながら」生きようとすることも、エンパスの持つ高い感受性である「豊かに感じる力」を活かし、発展させる方向には向かわないという点です。

共感から共依存へ

エンパスが陥りやすい共依存の関係について、もう少し掘り下げておきましょう。

スピリチュアルな世界に「ライトワーカー」という概念があります。

ライトワーカーは、直訳すると「光の仕事人」です。
ライトワーカーとは、愛の反対の「怖れ」や「不安」から、地球の人達を助けるために自ら選んで生まれてきた人達のことを言います。

引用:未知リッチ「ライトワーカーとはどんな人?」

こういった概念自体を否定はしませんが、「自分の使命」の捉え方を一歩間違えると、エンパスのただでさえ曖昧な境界線は完全に消滅し、他者の問題を自分のこととして背負い、自分のエネルギーを消耗し続けるような不健全な関係を作り続けることになりかねません。

この関係性においてエンパスは、気づくと他の人の人生に自分の人生を明け渡すという苦しいパラダイムに入り、疲弊しながら、つまり能力も生命エネルギーも無駄にすり減らしながら生きることになってしまいます。

共依存とは、自分を必要とする他者との間に一種の依存関係を作ることで、その根っこにあるのはやはり深い無価値観です。

自分で自分の価値を認められない苦しさから「誰かに必要とされる必要性」が生み出され、「他者を自分に感情的に依存させる」ための無意識の働きかけによって、その不健全な関係を強化していきます。

これでは、共感力というエンパスのギフト(能力)を「他者の力を奪うための」能力として誤って使ってしまうことになりかねません。

他者とエネルギー的に同化し、他の誰かにあなたのエネルギーを奪われ続けてしまうことは、ギフトである「共感能力」の洗練された使い方とは言えないでしょう。

他人を幸せにしようとすることによって、人は幸せになることも、人生の質を高めることもできません。

また、他の誰かのために自分のエネルギーを浪費し続けるような関係は健全とは言えず、結局は長続きするものでもありません。

エンパスが自分を他者に明け渡し、他の誰かのために生きることは、その才能と生命を無駄にする生き方になってしまうということです。

共依存についてもう一つの大切な視点は、相手にとってあなたが「自分を幸せにしてくれたり、助けてくれる唯一の存在」となってしまったとしたら、それは相手から本来の力を奪い続けるという、相手の人生にとっても大きなマイナスを作ることになるという点です。

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以下、「感じすぎて疲れる」エンパスやHSPが決して忘れてはいけないこと<後編>に続きます。

https://muera.jp/empath/forgot_their_power02/

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